愛するペットとの別れはいつか必ずやってきます。
大事に思っていればいるほど、その時がくるのがおそろしく、不安に思っていることでしょう。
私も去年大好きだった愛犬を11歳で亡くしたので、その気持ちは痛いほどよくわかります。
愛犬が年を取り体調を崩してからは、いつその日がくるのか、死んじゃったら自分はどうなるのか、不安な日々が続き、実際亡くなってからもしばらく泣いて過ごしました。
本当に大好きで何よりも大切で、できることならずっと一緒にいたかった。
人生の半分近く一緒に生活してきたので今でもいないのが不思議なくらいです。
それでも私は現在重度のペットロスに陥ることはなく、明るく前向きに過ごせています。
今愛するペットと生活している人が感じている、別れの時への不安が少しでも軽くなるように、私が愛犬との生活で気を付けていたこと、考え方などについて紹介していきたいと思います。
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目次
一番大切なのは後悔しないような生活を送ること
ペットが亡くなったあと、いなくなった喪失感より長く残るのが後悔です。
もっと一緒にいてあげればよかった。
もっと早くに病気に気付いてあげていれば。
あの時ああしていれば。
もう会えない悲しみは、受け止めるしかありません。ですが後悔は減らすことができます。
実際私が愛犬との生活のなかで一番気を付けていたことが、後悔しない選択をすることでした。
死んでしまったらもう二度と、楽しかった時間は戻ってきません。
そのことを常に頭に置きながら、一日一日を大切に過ごし、この子のために何ができるのか、何が最善なのかを考えながら毎日を過ごしていました。
少しでも様子が変だったら病院に行けるように細かく体調をチェックする。
できるだけ一人でお留守をさせることがないように気を付ける。
何かあった時にパニックにならないように対処法を調べておく。
(私の愛犬は心臓が悪く、呼吸困難になる可能性があったので、酸素室のことを調べたり、いざというときのために酸素ボンベを買って置いたりしていました。)
今できることを全部やろうと決めていたので、そのことにお金や時間を惜しみませんでした。これは愛犬のためだけではなく、自分のためでもあります。
思っていたのに行動に起こさなかった後悔は、一番自分を苦しめます。
もちろん、すべてをペットに捧げろというわけではありません。ただ、亡くなったあとのことを考え、その時に少しでも後悔しない道を選んでほしいのです。
少しずつでもいいのでいなくなってしまった後のことを想像する
もしこの子が死んでしまったら・・・。想像するだけでも悲しくなって涙が出てくる人もいるでしょう。現にこの記事を見てくれているのはそんな方たちばかりだと思います。
でもそんな方たちにこそ、いなくなってしまった後のことを考えるようにしてみてほしいのです。
いくら望まなくても「いつか」は必ずやってきます。その「いつか」ことを想像し、その時自分がどうしたいのか、その後どうなるのかを少しでも考えておくことは、いざその瞬間を迎える時のイメージトレーニングになります。
私は一人でいるときに、想像しては泣いてというのを無意識に行っていました。今思えば、死に対する準備をしていたのかもしれません。
「そんな、縁起でもない・・・」と思う人もいるかもしれませんが、死を受け入れる覚悟をすることはとても大切なことだと思います。
悲しいからと現実を見ないで過ごしていた時に突然亡くなってしまうのと、いつかくると思っていたそのいつかがきたと思うのでは、その時受けるショックが違ってきます。
もし、最後に立ち会えたならどうしたいのか、何を伝えたいのかを考えておくだけでもいいです。
語弊があるかもしれませんが、少しずつでも覚悟をすることで、死に対する耐性がついてくると私は思います。
私は愛犬が危篤のとき「ああ、いつかがきてしまった」と思いながらどこか少し冷静な気持ちで、ありがとうと幸せだったことを伝えることができました。
いくら覚悟をしていても悲しいしつらいです。それは変わりませんが、それでも自分の頭の中に別れのときのことを入れておいたおかげで、私は悔いなく愛犬を見送ることができました。
目を背けない
病気などで苦しんでいるペットを見るのはとてもつらいことです。かわいそうで見ていられない、別れがつらくなるからちょっと距離を置こう、と思いたくなる気持ちはわかります。
でもそうしてペットから目を背けてしまうと一生後悔します。
私は昔ハムスターを飼っていたのですが、死ぬのが怖くて最後あんまりお世話できなかったことをいまだに後悔しています。
その時私は幼かったこともあり、その子のことより自分のことが大事だったのです。その子は私にたくさんの幸せをくれたのに、その子が死ぬことで自分が傷つくのが嫌で、その子の存在を自分の中で小さくしようとしていたのです。
でもそんなことをしても後から残ったのは後悔だけでした。
どうしてもっと一緒にいてあげなかったんだろう
何かできることがあったんじゃないか
そう思っても、死んでしまってはもう何もしてあげられません。
私はその経験から、愛犬のことからは絶対に目を背けずに最後まで一緒にいようと決めました。
苦しんでいるのを見るのがつらいのはあくまでも自分の感情であり、ペットの感情ではありません。ペットからすれば自分が苦しくても、大好きな飼い主がずっと一緒にいてくれればそれだけで幸せなのです。
この子の残りの時間を少しでも幸せなものにするために何ができるか、いつもそんなことを考えていました。
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ペットロスに苦しんでいる人へ
この記事を読んでくれている人の中には、もうすでに愛するペットが亡くなっていてその悲しみから抜け出せないでいる方もいるかもしれません。
思いっきり悲しむ
そんな方たちに最初に言いたいのは、悲しい気持ちは我慢せず思いっきり悲しんでほしいということです。
大人だと特に、「こんなにずっと悲しんでいてはいけない」と思ってしまったり、他人から「たかがペットでしょ?」と言われたりすることもあるかもしれません。
でもそんなことは気にしないでください。
ずっと大事にしてきた家族が亡くなったのです。悲しいに決まっています。理解してくれない人は放っておけばいいのです。
私は仕事中に愛犬に危篤になり早退したのですが、後日会社の人に、「死んだか。はは」と笑われたり、「焼き代(火葬代)はいくらかかったの?」と言われたりしました。
悪気はないのでしょうかこっちからしてみれば悲しいというより怒りですよね。無愛想な感じで返事をして、心の中で
「お前らの命よりうちの○○ちゃんの命の方が100倍尊いんだよ!!!」
と思っていました(笑)
ペットの命が人間の命より軽いなんてことはありません。
こんなに悲しい自分はおかしいんじゃないかなんて思わずに、十分泣いてほしいと思います。
職場や他の人の前で泣くのが不安な方は、一人の時に思いっきり泣いておくのがおすすめです。
ずっと泣くのを我慢していると、ふとしたときに涙が溢れ出てしまうので、お風呂に入っているとき、寝る前など、自分が落ち着けるときに愛するペットのことを思い出して存分に泣いておきましょう。
過去は変えられない
先ほども紹介しましたが、後悔はずっと残ります。罪悪感にとらわれ続けている人もいるでしょう。
私も後悔しないようにと思って過ごしてきましたが、それでももっとできたことがあったんじゃないか、もう少し最初から知識があれば、と悔やむことはたくさんあります。
でもいくら今考えても過去は絶対に変わりません。
それを自分自身が強く認識することが重要です。
そんなのわかってるけど・・・と思うかもしれませんが、それでもです。いくら悔やんでも過去は絶対に変わらないのです。
ならどうしたらいいか。それはその経験を未来に活かすのです。
もし新しい子を迎えるなら、亡くなってしまった子にできなかったことをその子にはたくさんしてあげる。もしすぐ新しい子を迎えなかったとしても、悔やむのではなく自分の経験として覚えておく。
無理に忘れようとするのではなく、その後の人生のための貴重な経験として自分の中にとどめておくという意識を持つことも大切です。
楽しかったことをたくさん思い出して
たくさん悲しんだら、次は少しずつ楽しかったことを思い出してほしいと思います。最初は難しいかもしれませんが、徐々にでいいので
みんなでお散歩に行ったの楽しかったな~とか、
あのときドジで可愛かったな、とか
その子と過ごした幸せな日々を思い出してください。
お空に行ってしまった子も、自分といて楽しかったことをたくさん思い出してくれている方が嬉しいはずです。
私は何より、大好きな愛犬との思い出が悲しいままなのは嫌でした。
せっかく楽しい時間をたくさんくれたのに、悲しみばっかりを引きずっていては愛犬にも申し訳ないと思ったのです。
別れの辛さより、出会えた喜びをこれからもずっと覚えておきたいですよね。
虹の橋
ペットを飼っている人たちの中では有名な、こんな詩があります。この詩を見つけたのはまだ愛犬が亡くなる前でしたが、泣きながら読んだのを覚えています。
『虹の橋』
天国のちょっと手前に
虹の橋と呼ばれる場所があります。
この世界で誰かと特に親しかった動物は死を迎えると、虹の橋に行くのです。
そこには親しかった彼らのために用意された草地や丘があり、動物たちは一緒に走ったり遊んだりできるのです。
豊富な食べ物に水、お日様の光があり、
動物たちは暖かく心地よく過ごします。
病にかかったり年老いた動物たちは皆、健康になって元気になります。
傷ついたり不自由な体になった動物たちも、また元通りになって力強くなります。
まるで、過ぎ去った日々の夢のように。
動物たちは幸せで充実していますが、一つだけ小さな不満があります。
みんな、とても特別な誰かと、残してきた誰かと会えなくて寂しいのです。
彼らは一緒に走ったり遊んだりしています。
しかし、
ある日、一匹が突然立ち止まり、遠くを見つめます。
その瞳はきらきらと輝き、身体はしきりに震え出します。
突然、彼は群れから離れ、緑の草を速く、速く飛び越えて行きます。
彼はあなたを見つけたのです。
そして、ついにあなたとあなたの特別な友だちが出会うと、再会の喜びにあなたは抱き合います。
そして二度と離れることはありません。
幸福のキスがあなたの顔に降り注ぎます。
あなたは両手で再び最愛の友の頭をなで回します。
そして、あなたは信頼にあふれる友の眼をもう一度覗き込みます。
その瞳は、長い間あなたの人生から失われていたものですが、心から決して消え去りはしなかったものです。
それから、あなたは虹の橋を一緒に渡って行くのです。
次の子を迎えることについて
一度別れを経験してしまうと、もうこんな思いはしたくないから二度とペットは飼わないという人も多いと思います。
でも不思議と私はそうは思いませんでした。
もちろん別れはとてもつらく、できることならもう二度と経験したくないです。ですがその悲しみ以上に愛犬と過ごした日々は幸せだったと思ったのです。
どうしても最後に別れがきてしまうので、悲しい・つらい印象が強くなってしまいますが、その子と過ごした日々を考えたら、楽しかった・幸せだった時間の方がはるかに多いと思うのです。それこそ比べようがないぐらい。
悲しいからといってペットとの生活を拒否してしまうことは、ペットがくれた幸せな時がなくてもよかったと言っているみたいで、そっちのほうが私は嫌でした。
その子が私にたくさんの幸せをくれ、犬と暮らす楽しさを教えてくれたので、私はまた犬を飼いたいと思いました。
実際愛犬が亡くなってから半年後に新しい犬を迎えたことで、つまらなくなってしまった人生が、また楽しくかけがえのないものになりました。
その子がきてからはまたお世話やしつけで忙しくなり、寂しさがだいぶ薄れたように思います。
「新しい子に乗り換えたみたいで亡くなった子に悪いのでは・・・」と思っている人もいるかもしれませんが、私はそんなことはないと思います。
その子のことは一生忘れることはないですし、むしろ新しい子がきてからその子との楽しかった思い出をたくさん話せるようになりました。
その子との楽しい思いでは残しつつも、また幸せな日々を送ることができるので、新たにペット飼うことはすごくいいことだと思います。
まとめ
ペットが死ぬのが怖いのは当然のことです。
大切に思っていればいるほど、不安で仕方がないですよね。
でも別れの時はいつか必ずきます。
その時に後悔しないように、いまペットをたくさんたくさん可愛がって、思い出をいっぱいつくってください。
かけがえのない日々を大切に過ごすことこそが、あなたができる最善のことなのです。
今回の記事がペットとの別れを不安に思う方の助けになれば幸いです(*^^*)最後まで読んでいただきありがとうございました。
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コメント
初めてブログ拝見させていただきました。
わたしは2年ちょっと前に、縁あって7歳前後の野良猫を保護しました。
それが、予想以上に愛らしくて、「この子は私より先にいなくなるんだ..」などと考えると、涙が溢れて止まりません。私は44歳の男なのですが、大変お恥ずかしい話です。
私は号泣した後いつも、「この子と後悔しないよう接すれば大丈夫」とか、「まだ元気なのにこんなに悲しむなんて、きっとこれは予行練習なんだ」、などと、まさにアラサーOLさまと同じ結論に辿り着くのです。記事を拝見していて、「同じことを考える人もいるもんだな」、と思ったのと同時に、少し安心もしました。
私は、人間以外の動物はすべて天国に行くものと信じています。ですので、私も徳の高い生き方をすれば、この子と同じ天国に行けて、そこで永遠に仲良く暮らせるじゃないかと、自分に言い聞かせております。そうすれば、なんとなくですが、元気が出るのです。
少し長くなりましたが、とても有意義なブログを読ませていただき、ありがとうございました。
お返事が遅くなってしまい大変申し訳ありません。
コメントありがとうございます。
私と同じように考えてくださっている方がいるというのを
知れてとても嬉しいです。
猫ちゃんのことを思って泣いてしまうのは、
それだけ愛情を持って誠心誠意猫ちゃんを育てているということですし
何も恥ずかしいことではないですよ!
しかも泣いた後に、しっかりその子との向き合い方を考えられているのは
とても素晴らしいなと思いました。
私も動物たちはみんな天国に行くと思います。
そこで待っていてくれる子たちに恥じないような生き方を
していきたいですね。
CoCo様と猫ちゃんが少しでも長く楽しい時を過ごせるよう願っています。